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“勝負師”佐藤哲三騎手(43)が26年間のジョッキー生活に幕を下ろすことを決めた。2012年11月24日の京都競馬で落馬した際に、左上腕骨骨折はじめ全身に大ケガを負いながらも、不屈の闘志で懸命のリハビリを続けてきたが、現役続行できるまでの回復はならなかった。
アグレッシブな騎乗ができなくなったときがジョッキーを辞めるとき。何よりファンを大事にする男の決断だった。JRA通算938勝(GI6勝)の功績を残し、ターフを去る。
エスポワールシチーなどでコンビを組んできた安達調教師「新聞を見て知った。勝負をあきらめない頼りになるジョッキーだったし、引退するのであれば非常に残念なこと」
米ニューヨークで開催された『全米オープンテニス』男子シングルスで準優勝を果たした錦織圭選手(24)が16日、東京・日清食品ホールディングスで行われた帰国報告会に出席。大勢の報道陣や同社社員たちから祝福された錦織は、会見中盤にタレントで“師匠”の松岡修造からお祝いのVTRメッセージが寄せられると「うるっときそうになった…」と照れながら喜んだ。
【写真】12歳当時…小学生大会で優勝した錦織圭選手
松岡は、VTRで錦織へ向けて「テニスにおいて僕にとって圭は師匠です。(錦織が)11歳の頃からたくさんのことを学んできました。全米オープンでテニスを学びました。ありがとうございます」と感謝し、「これからも日清さんと共に世界一を目指してください!」とエールを送った。
VTRを終始、照れくさそうに見ていた錦織は、「うるっときそうになったのを何とか我慢しました。修造さんとも色々と思い出があったので」と感慨深げ。「11歳の頃から『修造チャレンジ』に参加して、世界を目指すきっかけになったのも修造さんのおかげなので色々な思いが駆け巡りました」と回顧していた。
この日の会見で、同社社員から花束や祝福の声を浴びた錦織は「こうやっていいニュースを届けられてうれしい」と満面の笑みで、「大きな舞台に立って結果を残せるように、次は優勝を目指して頑張ります!」とガッツポーズした。
さらに今回の活躍でシーズン上位8人で競うワールドツアーの年間最終戦『ATPワールドツアー・ファイナル』への出場が視野に入った。日本人男子初となる快挙に向けて「当初から目標にしてたけど、今回の準優勝でさらに近づいた」と自身も手応えを感じつつ「まだまだ(ライバルたちとは)僅差なので、次の大会からしっかりと結果を残して、出場目指して頑張りたい!」とさらなる飛躍を誓った。
山口さんの訃報を受け、山口さんを直接知る中国の関係者らが14日、哀悼の意を示した。中国では「80代以下の人はほとんど知らない」(北京の80代の共産党関係者)のが実情だが、一部メディアは、山口さんが2005年、小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝を批判する文章を公表したことなどを伝えた。
【「祖国」と「母国」激動の人生】
北京在住の中国外務省元幹部は、山口さんが環境政務次官に着任した際に顔を合わせた。「かつて長く住んだ中国をよく知り、非常に友好的だった」と振り返る。
また、生前親交のあった日中関係筋は「戦前の女優活動は、もし中国人なら死刑だったと思うが、日本人と証明できて帰国した。波乱の人生を経験し『余生は日中友好にささげる』とよく口にしていた」と話した。
山口さんの代表曲「蘇州夜曲」「何日君再来(いつの日君帰る)」は、今も中国で歌い継がれている。だが、一部の曲について「日本の侵略戦争を思い起こさせる」と受け止める中国人もいる。